良いお米を作るために、当たり前のことを当たり前にやる。
しかし決して凡庸であってはならない。
常に向上心を忘れず、ひたむきに努力し続けなければ、
「金札」を付すに値する米は作れない。それは、美味しいお米を皆様へお届けできる喜び。安心して手にとってもらえるお米を、
そして「美味しい」と喜んでいただけるお米を、
皆様の食卓へお届けできること。
その自信と喜びが、「金札」に現れている。
History
かつて大正の時代、アヒルも食べぬと見向きもされなかった、江刺米。このままでは絶対に良い米は作れない。江刺の先人は奮起した。全てを見直し、まさに足元から、自分たちの米作りを変えていく。十年以上の歳月を費やして改良を重ねた末、ついに評価は変わった。「申し分なき出来栄えなり」江刺の米が、日本一※となった瞬間であった。※大正14年2月、東京深川の正米市場に 試食用見本を送付した際の格付で、 1石あたり41円50銭の最高価格となった。
後の昭和の時代、 本物の証として金札を付した江刺の米は、「江刺金札米」と呼ばれるようになり、その評価は揺ぎ無い物となった。しかし戦争の勃発とともに、三十余年の間、市場から姿を消すこととなる。その後再び市場に姿を見せた江刺金札米は、再び最高の評価※を得る。江刺の米作りは、平成の時代になっても、その精神に変わりは無い。自ら厳しい基準を設け、妥協を許さず。これからもひたむきに、金札を付すに値する米作りを続けていく。※昭和59年11月、神奈川県の正米市場において 1俵二万三千五百円で取引された。
良いお米を作るために、
当たり前のことを当たり前にやる。
しかし決して凡庸であってはならない。
常に向上心を忘れず、
ひたむきに努力し続けなければ、
「金札」を付すに値する米は作れない。それは、
美味しいお米を皆様へお届けできる喜び。安心して手にとってもらえるお米を、
そして「美味しい」と喜んでいただけるお米を、
皆様の食卓へお届けできること。
その自信と喜びが、「金札」に現れている。
かつて大正の時代、アヒルも食べぬと
見向きもされなかった、江刺米。このままでは絶対に良い米は作れない。
江刺の先人は奮起した。
全てを見直し、まさに足元から、
自分たちの米作りを変えていく。十年以上の歳月を費やして
改良を重ねた末、
ついに評価は変わった。「申し分なき出来栄えなり」江刺の米が、
日本一となった瞬間であった。
後の昭和の時代、
本物の証として金札を付した
江刺の米は、
「江刺金札米」と呼ばれるようになり、
その評価は揺ぎ無い物となった。しかし戦争の勃発とともに、
三十余年の間、
市場から姿を消すこととなる。 その後再び市場に姿を見せた
江刺金札米は、
そこで再び最高の評価を得る。江刺の米作りは、平成の時代になっても、
その精神に変わりは無い。
自ら厳しい基準を設け、妥協を許さず。これからもひたむきに、
金札を付すに値する米作りを続けていく。
ブランドは、農家だけが作るものではないし、また農協だけが作るものでもない、そう思っています。生産者と農協が一緒になって築きあげていくものだと思っています。農産物に何か名前をつけただけのものは、ブランドとは言いません。ブランドというのは、⻑年築き上げてきた信頼の上にあるものだと思っています。江刺の米はまさにそういう米です。米を売ることは、自分を売ることと同じです。自分が恥ずかしいと思うようなものは出せません。いつでも胸を張って出せるように、常に高い次元を目指しているのです。
江刺では、一般的な農薬の使用回数の半分以下、化学肥料の窒素成分量も半分以下で栽培するよう定めています。これを特別栽培米と言って、本当に安全安心を大切に考えているお米です。おそらく地域全体で特別栽培米に取り組んでいるのは、ここ江刺だけではないでしょうか。使用する肥料についても、農家と農協が一緒になって決めています。お互いにしっかり向き合って、決められたことをしっかり守り、真面目に取り組む。だからこそ、江刺金札米は日本で一番古いブランド米として受け継がれています。