約30ヶ月。
それは、出荷するまでに牛とともに過ごす時間。
江刺の畜産農家が丹精こめて育てた牛は、
さらっと口どけの良い
脂質が特徴です。
江刺における和牛肥育の歴史は比較的浅く、昭和45年頃から本格的に開始されました。当時は仕上げた肉牛は業者を通じての生体販売が大部分で、昭和47年に東京食肉市場における出荷者登録を取得し、7頭の出荷をしたのが江刺牛の始まりです。和牛肥育農家は少人数のため江刺牛の頭数は少なく、希少な牛と言えます。豊富な草、良質な稲ワラと愛情を注ぎこまれた牛は、県内外より認められ、特に東京食肉市場からは高い評価を得ています。平成元年には「江刺牛」の商標を制定しました。日本食肉格付協会が実施する肉のランク付けには、ABCの3ランクがあり、それぞれのランクに5〜1等級、全部で15通りの格付があります。江刺牛は上位等級にあたるA・Bランクの5〜4等級のみを「江刺牛」として販売しており、首都圏などへ上質の牛肉としてお届けしています。
飼っている牛のことは365日毎日面倒を見ています。だから、米栽培などとは気持ちの面では全く違うと思っています。虚弱だった牛が無事に出荷できた時は、「よくここまで大きく育ってくれたな」と、いつも心の中で思います。牛も人間と同じで突然死することがあり、そういう時には泣いた時もありました。牛は家族と同じなのです。江刺牛の魅力は、代々続いてきた脂質の良さ、肉質の良さです。それを今後も守り、そしてそれ以上のものを作っていきたいと思っています。できれば仲間と一緒に江刺全体での頭数も増やしていければと思っています。
食べておいしい江刺牛。その評価を裏切らないために、私は努力を続けてきました。「江刺らしい牛」、それは肉のキメの細かさと、脂質へのこだわりにあります。指導を受けながら、自分の舌で確かめながら、私たちは脂質の良さを追求してきました。江刺の和牛肥育農家は少数ですが、時代の求めるものに対応しながら研究を重ね、市場でも「江刺牛」の名を覚えてもらえるようになりました。「また食べてみたい」という消費者の皆さんの声を励みに、私は「江刺らしい牛」を育て続けていきます。
「農家に生まれ育ったものの、自分が農業をしていくことは考えていなかった」と話す及川さん。大学を卒業後、一度は会社に就職したそうだが、仕事を通じて農家と触れ合う機会があったのだとか。「農業は大変で辛い仕事のイメージがあったけれど、私が出会った農家の皆さんは楽しそうにイキイキと働いていた」と振り返る及川さん。実家が農家だという話をすると話が弾み、農業の魅力を教えてもらったと言います。就農を決意した及川さんは父・欣一さんに相談。父を師匠に農業を学ぶことになったのです。「就農する前は農業の苦しい部分しか見えていなかったけれど、やってみると思っていたのと違う。生き物と触れ合う仕事はとても楽しい」と話す。教科書どおりにはいかない仕事。食べる餌の量や体調などを毎日観察しているという。「牛の成長が目に見えて嬉しい」と、充実した日々を過ごしている。及川さんの目標は、いつか自分が育てた牛のお肉を食べること。いつか最高のお肉を味わうことを目指して挑み続けている。
岩手県内外で高い評価を得ている江刺牛。
品質への飽くなき追求を続ける畜産農家が
自信を持ってお届けしています。
いわて牛後継者枝肉研究会では、次世代を担う後継者が肥育した和牛牛肉を一堂に会し、生産者と購買者との相互理解を深め、今後の肥育技術の確立と肉質の向上を図ることを目的に開催されています。第15回いわて牛後継者枝肉研究会では、県下肥育農家の後継者が出品した去勢27頭、牝18頭の枝肉の中から、菊地畜産の菊地毅さんが出品した枝肉が最優秀賞を受賞しました。審査講評では「牛本来の能力を十分に引き出し、近年稀に見る肉質、脂質であり、食べたいと感じさせる枝肉であった」との賞賛をいただきました。
また、つづく第16回いわて牛後継者枝肉研究会においても、去勢29頭、牝11頭の枝肉の中から、浅倉農林の浅倉寛さんが最優秀賞を受賞しました。審査をした全能ミートフーズからは、「未来を担う後継者が一致団結していわて牛を盛り上げて欲しい」と期待を寄せて頂きました。